あの日目にした何か

備忘録の数々。主にレビューと雑感。

10年後、ともに会いに(寺井暁子著、クルミド出版)

まだ世に出たばかりのこの作品。

『10年後、ともに会いに』

http://www.kurumed-publishing.jp/books

 

ご存知の方はほとんどいないだろう。

なにせ一般の流通ルート(大手書店、大手ネット通販サイト)では今のところ販売されておらず、

目にするきっかけを見つけるのが難しい。

 

手に取ったきっかけは著書の出版に知人が大きく関わっていたことからはじまる。

(いきさつを述べるととてもおさまらないので割愛させていただく)

 

16歳にてユナイテッド・ワールド・カレッジのアメリカ校に派遣された著者は

80か国近くの国と地域から集まった同世代と2年間過ごし、

そこで「お気に入りのハイキングブーツを履いていつかみんなに会いに行くからね」

と約束を交わす。

 

それから10年が経ち彼女がその約束を果たすべく、

世界に点在する友人たちを訪ねる日々を綴ったのが本作品である。

 

読者は紀行文として彼女が体験した日々を伴に過ごす。

①ヨーロッパ・北米編②イスラエルパレスチナ編③エジプト編

の3章に分割されているのだが、それぞれで著書が置かれる環境は瞬く間に移り変わる。

その中で得た疑問・葛藤の多くに結論が出されていないことの中に彼女の率直さが見受けられる。

 

 

この姿を読みながら昔青春18きっぷであてもなく放浪していた日々を思い出した。

物事へのアンテナが乏しく興味関心が比較的薄い傾向にある私は、

強制的に刺激を得られる環境に自分を追いやった。

北上するにつれて木々の有様が変わっていくこと。

縁もゆかりもない人々がふとした出会いをきっかけに宿を貸してくれること。

遠方にいた知人と久々に再会して得たそれらに対する印象のずれや安堵感。

 

その経験から得られたのは「いつもある日常からちょっとずれた延長線上にあるもの」であり、

ひとつひとつの出来事の枝葉まで目をやると、特別な体験など何一つなくだからこそ全てが特別な日常に感じられた。

(厳密にはそれらの経験を特別な日常だと感じられるようになった(なろうとしている)のはつい最近の出来事である。)

私の喜怒哀楽には本来特別な体験は必要なく、私は特別な体験を作り出す日常の連続そのものを楽しもうとするようになった。

 

 

後書きに「『肩書のある何者かではないけれど、なにかではある』という手応えを掴んだように思う」とある。

著者が世界中を旅して得た経験は他人にはそう簡単に得られるわけではないが、

これと同じ経験をせずとも我々はこの感触を手にする可能性を持っている。