あの日目にした何か

備忘録の数々。主にレビューと雑感。

玉ねぎ

差点にてえらい道が混んでるなーと思ったら、
軽トラックの荷台に積んで養生してあった
玉ねぎが箱ごとひっくり返って200個くらい散乱していて、
慌ててそれを拾っている中年の男性がいました。

 

玉ねぎを避けながら4方向から進行していた車の流れは1分ほどして止まり、
30秒後には30人ほどの人が各々の車から降りてきて、
3分もしないうちにほぼすべての玉ねぎがもとに戻されました。

 

交差点には何回も「ありがとう」と繰り返すおじさんの声と、
楽しそうに玉ねぎ拾いながら
「このあと玉ねぎ5個くらい貰えるよね!」
と楽しそうに玉ねぎかき集める少女に対する笑いがありました。

 

玉ねぎもらえるといいね。

グラビア

普段グラビア見ないんですが今週の週間少年マガジン巻頭グラビアは吉木りさちゃんだったのでインタビューまで熟読してやりました。 


「初恋の人は中学生のときサッカー部のキャプテンでした」 
と書かれていてましたが、 
僕はバスケ同好会のヒラ会員だったので 
インタビュアーは記事を捏造したに違いないと憤慨しているところです。 


中学生の頃はりさちゃんがこんな有名人になるとは思ってなかったです。 
今さら、りさちゃんがここまで持ち上げられたからといって、 
バラエティー番組で初恋のエピソードについて取材されたとしても 
「中学生の頃はあの娘はこんな感じの娘でした」 
とインタビューにこたえるほど安い男じゃないのですよ、僕は。 


そのくらいあの頃の思い出は大事にしておきたいのです。 


そんなナイスガイな振る舞いの僕を目にしたにりさちゃんは、 
ドキがムネムネ、マジで恋する5秒前。 



そんな風な人生をどうやったら歩めたのでしょうか。 


これまでことごとくフラグを立て損ねながら今に至った現実の僕は、 
そもそもフラグがどこにあるのかもわからないちんちくりんであることは言うまでもありません。 


今年もバレンタインをなんとか生き抜けた僕に 
間髪入れずにこんな悪意溢れる特集を見せて 
一体何を考えているんですか講談社は、 
いや、何も考えていないに違いない。。 


いけない、 
あまりに興奮したのでついつい反語つかっちゃいました。 


ということで、バレンタインに僕にチョコレートを配れなかった 
ちょっとシャイな貴女のために 
毎年のことですがバレンタイン前後半年間はチョコレート募集中です。 

遠慮なんて入りませんよ。 
自分でガトーショコラ作るのも飽きましたしね。

10年後、ともに会いに(寺井暁子著、クルミド出版)

まだ世に出たばかりのこの作品。

『10年後、ともに会いに』

http://www.kurumed-publishing.jp/books

 

ご存知の方はほとんどいないだろう。

なにせ一般の流通ルート(大手書店、大手ネット通販サイト)では今のところ販売されておらず、

目にするきっかけを見つけるのが難しい。

 

手に取ったきっかけは著書の出版に知人が大きく関わっていたことからはじまる。

(いきさつを述べるととてもおさまらないので割愛させていただく)

 

16歳にてユナイテッド・ワールド・カレッジのアメリカ校に派遣された著者は

80か国近くの国と地域から集まった同世代と2年間過ごし、

そこで「お気に入りのハイキングブーツを履いていつかみんなに会いに行くからね」

と約束を交わす。

 

それから10年が経ち彼女がその約束を果たすべく、

世界に点在する友人たちを訪ねる日々を綴ったのが本作品である。

 

読者は紀行文として彼女が体験した日々を伴に過ごす。

①ヨーロッパ・北米編②イスラエルパレスチナ編③エジプト編

の3章に分割されているのだが、それぞれで著書が置かれる環境は瞬く間に移り変わる。

その中で得た疑問・葛藤の多くに結論が出されていないことの中に彼女の率直さが見受けられる。

 

 

この姿を読みながら昔青春18きっぷであてもなく放浪していた日々を思い出した。

物事へのアンテナが乏しく興味関心が比較的薄い傾向にある私は、

強制的に刺激を得られる環境に自分を追いやった。

北上するにつれて木々の有様が変わっていくこと。

縁もゆかりもない人々がふとした出会いをきっかけに宿を貸してくれること。

遠方にいた知人と久々に再会して得たそれらに対する印象のずれや安堵感。

 

その経験から得られたのは「いつもある日常からちょっとずれた延長線上にあるもの」であり、

ひとつひとつの出来事の枝葉まで目をやると、特別な体験など何一つなくだからこそ全てが特別な日常に感じられた。

(厳密にはそれらの経験を特別な日常だと感じられるようになった(なろうとしている)のはつい最近の出来事である。)

私の喜怒哀楽には本来特別な体験は必要なく、私は特別な体験を作り出す日常の連続そのものを楽しもうとするようになった。

 

 

後書きに「『肩書のある何者かではないけれど、なにかではある』という手応えを掴んだように思う」とある。

著者が世界中を旅して得た経験は他人にはそう簡単に得られるわけではないが、

これと同じ経験をせずとも我々はこの感触を手にする可能性を持っている。

THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!

THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!

http://www.idolmaster-anime.jp/

 

先日観てまいりました。

 

強烈にインペクトのあるシナリオというわけでもなく

そこにあったのはある意味予定調和な2時間。

だからこそ安心して観ることができた僕は、

改めてアイマスっていいなぁと純粋に感じることができたのでした。

 

僕は原作をプレイしていないのである意味他のファンと比べたときに

思い入れがあると旨をはって言えるキャラはいません。

 

アニマスを全話見た

アイマス2であずささんプレイして途中のオーディションで詰んだ

・グリマスあんまのめり込めなくて現在放置中

 

といった具合なので、アニマスに限って言及すれば、

エピソードとして真、千早、春香あたりの好感度は高いです。

 

話を映画に戻しましょう。

 

スクリーンの中には僕が感情移入できなかった

グリマスのキャラクターたちがバックダンサーとして登場しました。

彼女たちは物語にアクセントを与えてくれました。

いくつかのレビューに目を通させていただきましたが、

このことが良くも悪くもこの映画の評価に多大な影響を与えているようです。

 

2時間という尺の中で彼女たちの魅力を全て引き出すのは難しいからこそ、

数あるグリマスキャラの中であのメンバーを選択したのはわかりますし、

(というかほかに誰がいたっけ…。)

その厳選されたキャラクターの中でも可奈にスポットライトをあてたのは理解できます。

 

そして、春香と可奈のやり取りを通じて得られる感動、

オリジナルメンバーの信頼関係は揺るがないものになっていたこと、

それらはアニマスを想起させるもので懐かしさを感じさせてくれました。

 

劇場で涙腺が何度も緩んだのはその懐かしさの存在が大きかったように思います。

 

だからこそ、

だからこそ、

「上記で触れたグリマスメンバーの存在が本当に必要だったのか」

その一点に疑問符が残ります。

 

グリマスキャラの導入によって何名かのオリジナルメンバーの存在感すら薄くなってしまった。

 

勿論、グリマスキャラの存在の有無に関わらず、

限られた尺の中でオリジナルメンバー全員を輝かせるのは難しいでしょう。

 

しかし、プロデューサーの存在を大きくしたくなかったのかもしれませんが、

そのイベントを彼女たちだけで紆余曲折しながら乗り越えていく姿を

彼女らの個性を可能な限り引き出すことは本当にできなかったのでしょうか。

 

グリマスに愛着のある方には申し訳ないのですが、

オープニングで流れたムービーがそのことに対する

実現可能性を示唆したように思います。

(「あのムービーを2時間まるまる流しただけでも充分楽しめそう」

 という感想を見たときにそれを感じてしまいました)

 

別に叩こうとしているわけではなく、

改めて述べさせていただきますとあの映画は本当に面白かったですし、

エンディングでスタッフロールを見ながら

左で流れていた写真をほとんど目にしていなかったため、

もう一度劇場へ訪れてもいいと思っております。

 

原作を改めてプレイしてみようと思えただけでも

劇場へ足を運んだ価値は十二分にありました。

White Album 2 - introductory chapter -

一年に一度。

大体は長期休暇になるのだがふとゲームをすることがある。

 

大学の頃PS2が壊れるまでは大体パワプロだった。

PS2故障以後、TVをそもそもつけることもなくなり

TV電源入れる→チャンネル切り替え→PS2起動→ゲームプレイ

という何でもない動作ですら、やりたくないほど怠け者の僕にはゲームはある意味格式高いものになっていた。

 

4年次にプレイしたのはアマガミ、一昨年がテイルズオブディテニー2、昨年がCRONO CROSS。

別に最新作である必要はなく何でもないタイミングで手に取って、

EDまでたどり着ける作品は不思議と1つしかない。

 

今年はそれが早かった。

まだEDまで至っていない、というよりまだ序章も序章の段階なのだが今プレイしているのが表題にある作品。

『White Album2』

 

 

この度メディアミックスされ2013年秋アニメに放送された内容は

物語のプロローグであるintroductory chapter(以下IC)のみ。

いわゆるノベルゲームの体を成し、しかもこの章に置いてはプレイヤーは傍観者としてやり取りをただ眺めるだけ。

その作業に約10時間を費やす。

こうして原作をプレイすると「なるほど、うまくまとめたな」と思いわするも、

これが本当に名作なのか…という疑問が拭えない。

 

そうして気になりレビューを検索したのが運のつき。

「プレイしながら何度も嗚咽をもよおした」

「買ったことを後悔することはあるかもしれないが、買って損したと思うことはない」

「記憶をなくしてもう一度最初からプレイしたい」

「真骨頂はICの後の大学編から」

これらのレビューを見て年末ついに機動性からPSVitaと本作品を購入。

(つまりPSVitaはこのためだけに購入)

 

そうしてようやくICを終えて大学編に入ったところである。

 

ICの時点でその破壊力はアニメ版を悠々に上回る。

 

内容そのものについてや続編をプレイした感想もいづれ述べることになるだろう。

 

まだ序章も序章なのにコンプリートまでたどり着く日がくることをを確信させた久々の作品。

自転車欲しい

もうすぐ今年も終わり。 

今年も相変わらず出不精な日々が続きまして 
外出するためにもやっぱり自転車欲しいなって考えたときに、 
ふとある現象に名前をつけたくなったんですよ。 

あれです、あれ。 

子どものときにダサいと思っていたマウンテンバイクが 
実はめちゃくちゃカッコ良かったことを知ったことで 
大人の階段をのぼった気分になれる現象。 

小学生のときに与えられる自転車って、 
だいたいマウンテンバイクだと思うんですよ。 

少なくとも僕の家庭ではそうだったんですが。 

けど小学生だった僕は自転車で登校する中学生・高校生を見てこう思うのです。 

「ママチャリこそ大人の乗り物に違いない…!!!」 

実際、初めてママチャリ乗って通学したときの達成感と言ったら… 

覚えてないですね。 

けど、ママチャリを間違いなく大人の乗り物だという 
ステキな勘違いをしていた時期が確かにあったのです。 

しかし、違いました。 

初めてロードバイクを見たときの感動と言ったらそりゃもう 
「サビ止めとか面倒なメンテナンス一切しなくていいなら今すぐにでも買いたい!」 
と思ったくらいです。 
(結局メンテナンスめんどくさそうなので未だに購入予定リストにもあがらない。) 

小さい時「こんなのお子ちゃまの乗り物だ!」と蔑んでいた乗り物は、 
それはそれは優れた乗り物でした。 

謝ろうにも昔乗ってた自転車の行方を知るすべもなく八方ふさがり。 

なんて酷い男なんだ僕は…!!! 

それはさておき、 
そういう体験が自転車以外にあるのではないか、とふと思ったわけです。 

もしあるとすれば「ドップラー効果」とか「エルニーニョ現象」とかみたいに 
物凄く「うわー、それめっちゃ『現象』って思わせる響き!」だと 
皆が唸るような名前をつけてあげたいなぁ、と。 
(まだ名前がついてないの前提なのがあれですが。) 

そんなことを考えながらこの1週間仕事してました。 

なんてね。

シリアの花嫁

シリアの花嫁

 

シリアとイスラエルの国境にあるゴラン高原にある村のとある家族のお話。

もともとはシリアが領有していた土地なのだけれど、
第三次中東戦争を境にイスラエルが統治するようになったのがこのゴラン高原

イスラエルは国籍を発行することを認めているのだけれど、
シリアに帰属意識のある住民は国籍を取得することなく

「無国籍」の状態になる。

 

その状態で他国へ出国した場合、

(シリア自体はゴランを自国だと主張するため出入国扱いはしないようだ)

出国した彼らは形式上イスラエルとして治められている

故郷へ帰ることができなくなってしまう。

(帰国した際にパスポートを利用すると

自分がイスラエル人であることを認めることになるため)

 

花嫁のモナはシリアの首都であるダマスカス在住、

親族でタレントである親戚のもとへ嫁ぐ。

(会ったこともないそうでなぜ結婚するのかということは結局最後まで分からず終い。

個人的に気になる点ではあるのだが)

 

誰しもが立ち入ることのできないシリアとイスラエルの国境線で開かれる結婚式は、

彼女が家族と家族として同じ場所で過ごせるであろう最後の時間なのだ。

 

物語の進行に合わせ、地政学的な不安定さを少しずつ浮き彫りにさせながら

課題を乗り越え家族として一つの結婚式を成し遂げようとする姿は考えも及ばない。

 

この物語は必ずしもハッピーエンドと呼べる結果には繋がらない。

このような類の国際的問題が簡単ではないことを改めて痛感させられる。